沿革
-
1920s
1920(大正9年)
初代井口興一、東京神田において創業。
スケッチブックの実用新案特許により都内、関東、東北地区官公私立中学校約600校に学習用スケッチブックの製造販売を専門に行う。 -
1940s
1944(昭和19年)
戦争激化に伴う統制と先々代社長応召のため、事業を一時中断。
1947(昭和22年)
先々代社長復員と同時に事業再開。社名を「株式会社丸万商店」(資本金19.5万円)とし、社長に井口秀夫が就任する。
1949(昭和24年)
戦後復興、物資不足の中でスケッチブックの生産を再開するとともに、画材店関係への卸売を開始する。
-
1950s
1954(昭和29年)
東京紙製品工業会に入会。スケッチブックの販売をもって、文具業界にも進出を図る。
1950年代後半
絵の具の浸透や発色、描線に風合いや立体感を与える国産オリジナル紙の開発・抄造を始める。
1958(昭和33年)
スパイラル製本の事業化をはかるため、戦後の渡航制限下に渡欧し、スパイラル製本機を買い付け、日本へ初導入する。
図案スケッチブックをもっと知る図案スケッチブック1958~
黄色と深い緑の大胆で温かみのある「図案スケッチブック」は1958年に量産開始しました。デザインという概念が浸透していなかった当時の日本では、「図案(デザイン)」は革新的なものでした。図案のクロスは「図」の字をもとにデザインされたという説もあります。
スケッチブックの命ともいえる画用紙は、絵の具の発色や描き心地、「シボ」が生む風合いなど、あらゆる品質にこだわっています。
図案シリーズ誕生50年の2008年に、表紙のデザインを社章として採用しました。 -
1960s
1960(昭和35年)
旧中野本社事務所及び工場の新築ビルが落成する。
スパイラル自動製本機導入に伴いかねて研究準備中の“スパイラルノート”を発売。日本人のライフスタイルから生まれた5色の表紙や合理性・機能性・高いセンスはセンセーションを巻き起こした。
1961(昭和36年)
「スパイラルノート 1960」の生産、販売を開始。
「スパイラルノート 1960」をもっと知る
ノート業界に本格的な進出を行い、経営の多角化を図る。スパイラルノート
19601961~1958年にマルマンが日本で初めてスパイラル製本機を導入し、1960年に日本初のリングノートを発売。翌年に丈夫さ、軽さ、薄さを両立した鮮やかなオリジナルカラーボード紙の「スパイラルノート 1960」を発売しました。これを機にマルマンは、スケッチブック業界からノート業界に本格的な進出を行いました。
発売当時の製品名は「スパイラルノート ジュニア」。「ジュニア」という名前は、発売時に「ヤング」「シニア」というシリーズの一つとして名付けられました。1962(昭和37年)
取扱い商品の増加と、今後の発展への体制確立の一端として、社名を変更。「マルマン株式会社」とする。神奈川県座間市に工場を買収、本社より主要設備を移転させ、生産拡充を図る。
画板なしでスケッチブックだけで描くことができるマルマンオリジナルのボール紙2枚合わせの表紙を使った丈夫なオリーブが誕生。
「オリーブ」をもっと知るオリーブ1962~
「オリーブ」は画板なしでも絵を描くことができるほどのしっかりとした表紙が特長で、当時の日本では、マルマン独自の表紙素材で人気を博しました。
「オリーブ」という名前は表紙のオリーブカラーから由来しています。
当時マルマンが発売していたスケッチブックはA判、B判規格のものが主流でしたが、人物画に描くのに最適なF判規格を採用した最初のスケッチブックだといわれています。
厚手の画用紙なので、油性ペンでも透けにくく、カンペから美術の授業といったあらゆる場所で使われています。1964(昭和39年)
神奈川県座間市の相模工場が本格的な生産工場として稼動開始。スクラップブック(カラー表紙)がGマーク受賞。
1967(昭和42年)
プラスチックバインダーを新開発。20世紀の素材プラスチックの使用、ワンタッチ開閉の手軽さとスマートなスタイリングは、バインダーのイメージを変えるものとして話題を呼ぶ。
1968(昭和43年)
プラスチックバインダー発売に併せルーズリーフも発売。製品保護のためのPP袋入りスタイルという、新機軸を打ち出す。
「ルーズリーフ」をもっと知る書きやすい
ルーズリーフ1968~1967年に軽くて丈夫なプラスチックバインダーの新開発に伴い、翌年にルーズリーフを発売しました。必要なものだけ持ち運びが出来るノートとして、一大ブームを起こし、学生の定番として根付くきっかけにもなりました。
現在では、紙面が広がるワイドルーズリーフやパットタイプ、片手サイズの小さなルーズリーフミニなど約150種類のバリエーションに広がっています。 -
1970s
1970(昭和45年)
多枚数、ワイドサイズの100枚入りクロッキーとして人気を博したクロッキーブックを発売。
「クロッキーブック」をもっと知るクロッキーブック1970~
ワイドサイズの100枚入りクロッキーとして人気のクロッキーブックは、はじめはSLサイズ、青色の1アイテムだけでした。
直感的にわかるこのシンプルなロゴは、コンパスと定規のみで作成しています。表紙のクラフト素材は、丈夫でありながら、丸めることのできるしなやかさももっており、これは、アメリカ出張時に6本入りのボトルケースの丈夫さ・軽さに注目し、表紙素材として開発したものです。
鉛筆との相性が良いクロッキー紙は、ラフスケッチやアイデアブック、旅先での記録や外出先でのメモなど幅広いシーンで使うことができます。1971(昭和46年)
オリジナルの表紙レイアウトが可能な透明バインダーVUE シリーズ“DO IT YOURSELF”を発売。学生を中心に好評を博す。
1974(昭和49年)
将来に見込まれる量産化・多様化に備え、宮崎県日南市北郷町に製造部門の関連会社「宮崎マルマン株式会社」(資本金1,000万円)を設立、稼動開始。
米国で人気の高いプロフットボールリーグ「NFL」のチームマーク及びカラーをデザイン化した文具類の日本独占販売を開始。スポーツファッションの先駆けとして爆発的人気を得る。
1978(昭和53年)
ツインワイヤ製本機を導入、同機を使用したノート類を発売する。
1979(昭和54年)
ルーズリーフの需要増とシェア拡大、またカラー時代を迎えたことを契機にカラーリーフ(5色)を発売、大好評を博す。
相模工場合理化計画に基づき整備拡張を図る。 -
1980s
1980(昭和55年)
米国「ウィルソンジョーンズ社」と提携。メタルバインダーに特許ダブルロック機構を採用した「ダブロックファイル」の日本発売を開始。
1981(昭和56年)
「ダブロックファイル」がGマーク受賞。
1986(昭和61年)
システム手帳の世界的流行を迎え、当社は「データプラン」のネーミングで発売。同時に、大小約80種のリフィルも発表。スタート時より好調な伸びを見せる。
1987(昭和62年)
透明な表紙に大胆なデザインをしたイングリッシュノートブックが発売。学生中心に好評を博す。
イングリッシュノートブックをもっと知るイングリッシュ
ノートブック1987~扉紙の色で、透明なPPに印刷した文字を魅せている英習字ノートは1987年に誕生しました。当時では紙の表紙が一般的だったため、PP表紙の学習用ノートは斬新で人気を博し、30年たった今でも愛されています。
マルマンはこの他にも多くの英語ノート音楽ノートを発売しており、常に学生に寄り添った商品を発売し続けてきました。1989(平成元年)
表紙にインデックス部分の切込みを施した、斬新なバインダーファイブチャートの製造販売。
ファイブチャートをもっと知るファイブチャート1989~
1・2・3・4・5の分かりやすいデザインが印象的なバインダーです。
インデックス部分に切り込みが入っており、見たいページをすぐにパっと開くことができます。30年たった今でも毎年生産数量が増えている、子供から大人まで使えるマルマン大ベストセラーのバインダーです。 発売25周年を記念した2014年には、学生向けに「ファイブチャート ライト」をカラー展開で発売しました。 -
1990s
1992(平成4年)
高級感ある布くるみ表紙を使用したバインダー「コベントリーガーデン」を発売。最大18色ものカラー展開は店頭でひときわ目立つ存在となる。100万冊をこえる大ヒット。
1993(平成5年)
スケルトンブームの先陣をきった「スクリーンカラー」を発売。アイテムを増やし、シンプルでクリスタルな輝きは幅広い人気を得た。
1995(平成7年)
ひと目で罫内容がわかるシンプルで大胆なデザインのレポートパッドシリーズを使いやすさにこだわった親切設計で開発。
レポートパッドをもっと知るレポートパッド1995~
罫内容が一目で分かる大胆でシンプルなデザインが特長のレポートパッドシリーズは四半世紀前の1995年に誕生しました。
当時の一般的なレポートパッドよりも厚口な紙にもかかわらず、リーズナブルな価格で支持され、レポートパッドの定番のひとつとして定着しました。
それぞれの表紙のABSWUは罫線の略語で、Aは7㎜罫、Bは6㎜罫、Uは8㎜罫、Sは方眼罫、Wは無地を意味しています。1996(平成8年)
マルマンオリジナルの国産水彩紙を新たに開発し、ヴィフアール水彩紙スケッチブック(旧名称コットマン)を発売。サイズ・製本・紙肌のラインアップの豊富さが特長。
ヴィフアール水彩紙スケッチブックをもっと知るヴィフアール水彩紙
スケッチブック1996~ヴィフアール水彩紙はマルマンが開発した「手軽に水彩を楽しめる」国産水彩紙です。にじみやぼかし、色ののり方を無限に楽しむことができます。
マルマンオリジナルの国産水彩紙は1970年代後半に開発され、その後1996年にスケッチブックの表紙を丈夫で軽いボール紙をくるんだ、くるみ表紙のヴィフアール水彩紙スケッチブックが発売になりました。
製本方法もリング・ブロック・パッド、肌目は荒目・中目・細目の3種類あり、自分の使い方に合わせたスケッチブックを選ぶことができます。1998(平成10年)
絵手紙ブームの中、絵手紙用ポストカードを発売。その後、画仙紙シリーズを充実させバラエティあふれるシリーズとなる。
1998(平成10年)
フランス「キャンソン」社と代理店契約を結ぶ。
-
2000s
2000(平成12年)
PPシートのくるみ加工技術を開拓。雨にも強い表紙のアートスパイラルを発売。
アートスパイラルをもっと知るアートスパイラル2000~
おしゃれな2色のワイヤーのカラーと鮮やかな表紙の色が特長のスケッチブックです。
PPをくるんだ表紙を使っているので、スケッチブックなのに水に強い表紙!という売り文句で発売されました。
紐を裏側で結んで立てればそのまま飾ることもでき、スケッチブックとしての用途だけでなく、楽譜を貼ったり、アルバムを作ったり色々な用途で使われています。2001(平成13年)
井口秀夫が代表取締役会長に、井口栄一が代表取締役社長に就任。
2003(平成15年)
虹色の鮮やかなカラーが特長の「セプトクルール」の発売。バインダー、ノート、メモの幅広いラインアップで、人気を博す。
2004(平成16年)
今日のビジネスマン向けノートの先駆けであるニーモシネを製造発売。「書くこと、考えることが創造的にする」をキャッチコピーに、ビジネスシーンにマッチするデザインや設計が話題を呼ぶ。
ニーモシネをもっと知るニーモシネ2004~
電子機器が急速に普及するなか、人々の仕事を「紙」でサポートすることをテーマに、2004年に誕生したノートブランドです。滑らかな書き心地の筆記用紙、スタイリッシュなデザイン、多様なシーンに対応する罫線とサイズのバリエーションは、多くのワーキングパーソンに支持され続けています。
ブランド名は、古代ギリシア神話に登場する「記憶の女神」の名前に由来し、紙に書くことが記憶に繋がるという想いが込めれています。
働く人々が「書く」気持ちを喚起し、仕事に創造性をもたらすツール、それが「Mnemosyne」です。宮崎マルマンが30周年を迎え、太陽光発電システムなどを導入。環境に配慮した省エネルギー工場として稼働開始。また工場の統廃合を実施し、新潟工場を閉鎖し、その設備はすべて宮崎マルマンへ移管。
2008(平成20年)
「図案スケッチブック」発売50周年を記念し、限定品を発売。コーポレートロゴを図案柄に変更した。また、「図案スケッチブック」が、グッドデザインロングライフデザイン賞を受賞。
2009(平成21年)
ニーモシネノートパッド&ホルダーが第18回日本文具大賞デザイン部門でグランプリを受賞。
-
2010s
2010(平成22年)
「書きやすいルーズリーフ」ワイドが第19回日本文具大賞機能部門優秀賞を受賞。
2011(平成23年)
親子で遊ぶスケッチブック「図案スケッチブック ONEDAY」を発売。子供の知育を育むスケッチブックを開発。
2012(平成24年)
A4、B5、A5、どのサイズのバインダーでもふせんのように使える「書きやすいルーズリーフ ミニ」を発売。
2013(平成25年)
一枚ずつきれいにはがせる天のりパッド製本を採用したセプトクルール「ルーズリーフパッド&ホルダー」が第22回日本文具大賞 機能部門グランプリを受賞。
2014(平成26年)
使う人の快適さを追求したクラフト表紙の「スパイラルノートベーシック」を発売。
2015(平成27年)
MPS マルマンペーパーシリーズ
国産のマルマンオリジナル用紙の表記システム「マルマンペーパーシリーズ」を発表。2016(平成28年)
中学・高校の先生お薦めNo,1! プロの教師たちと一緒に作った“復習を習慣づけるノート”「スマートレビュー」を発売。
2018(平成30年)
「図案スケッチブック」60周年を記念した製品の発売。
2019(平成31年)
リラ社(ファインアート部門)日本代理店を務め、描画製品の取り扱いを開始。
マルマン株式会社をホールディングス化し、海外進出に向け、上海マルマンを設立。
また柏美術学院を運営するサニモ株式会社を子会社化することで、描くことに関する新たなサービスの可能性に向けた取り組みもはじめている。 -
2020s
2020(令和2年)
井口栄一が代表取締役会長に、井口泰寛が代表取締役社長に就任。